いつも応援してくださる皆様へお知らせしたいことがあります。
我が家のアイドル、可愛い可愛い坊や
愛犬おんたが3月21日に息を引き取り、
昨日11時に火葬し、虹の橋を渡りました。
今月5日からご飯を食べなくなってしまい、
ほぼ毎日病院へ連れて行き、かかりつけの先生とどうするのが良いかを一緒に考えて
彼のサポートを頑張りました。
最後はリンパ腫か難治性IBD(炎症性腸疾患)のどちらかだったと思われます
(どちらかを切り分けるにも全身麻酔&内視鏡という老犬にはハードなことをしなければならないのでそれはしませんでした)
亡くなった21日、自分はレコーディングの現場があり、
朝おんたを病院に預け、病院の最寄駅に着いた時に病院から着信があり
「おんたくんの呼吸が止まってしまいました」と報告を受け、慌てて病院に戻りました。
病院に戻った時にはおんたは呼吸器に繋がれていました。
僕が到着して程なく、先生が「心臓も止まっちゃったね」と仰いました。
「2人とも頑張り尽くしましたよ」と先生が声を掛けてくださいました。
祝日ということもあったので病院は混んでいたので、できるだけ取り乱さず帰ってきたのですが
自宅へ帰る途中でおんたが大好きで毎日のように通った雑貨屋さん、三叉灯へ報告に寄りました。
動かなくなったおんたの姿を見せ、僕よりも先に声をあげて泣いてくださる三叉灯の奥さんをみて僕も抑えられなくなり
みんなで声をあげて泣きました。
覚悟はしておりましたが、それでもどうしようもなく辛く、寂しくて
たくさん泣いて、泣いて、泣き尽くしました。
それでもこの文章を書いていると涙が出てきます。
でも、自分もとにかくできる限りのことはやり尽くしたし
おんたも頑張ってくれました。
12歳で脳腫瘍になった時から
「今一緒にいられるのは当たり前じゃない」と自分に言い聞かせて、彼との日々を大切に生きてきたので
後悔はありません。
亡くなった翌日22日はお天気が良く、
ほとんど歩けなくなっていた彼のために新調したバギーに
動かなくなった彼を乗せ、たくさんのお花とおやつを敷き詰め、
彼が大好きだった散歩コースをたくさん歩きました。
(日除カバーをおろしていたけど変な光景だったろうなぁ笑)
道中、彼がよく立ち寄っていたお店などで、彼を可愛がってくださった店員さんに亡くなったことを話し
たくさん彼の頭を撫でていただきました。
ごくごく内々の友人達にも連絡し、
たくさんの方がお花を持って会いにきてくださり、一緒に泣いてくださいました。
お葬式の日だけ、雨だったことだけ申し訳なかったのですが、
亡くなった後もできる限り彼が喜びそうなことをしてあげられたと思います。
そしてこの文章をここまで読み進めてくださったみなさまも、
きっとおんたのことを可愛いと思ってくださっていたのだと思います。
本当に感謝しております。
つきましてはおんたが生前毎日のように寄り道させていただいていた下北沢の雑貨屋
三叉灯(さんさとう)さんにて3月30日にお別れ会を行います。
三叉灯の奥さんも余命数日となってからはおんたに会うたびに毎日涙を流してくださいました。
会場にはおんたの写真やおもちゃや、洋服などを持っていこうと思います。
献花台などもご用意いただけるとのことで、
タイミングが合う方は是非お別れを言いにいらしてください。
また「遠方の方でお花などを贈りたい人もいるかもしれませんよ」とご提案いただいて
30日だけおんた宛の荷物などの受け取り先にもなってくださいます。
155-0032 東京都世田谷区代沢5丁目36−14
三叉灯 小池おんた宛
※必ず3月30日の日付指定でお願いいたします
(決して「なんか送ってくれ!」とかじゃないですからね!)
自分自身はこの日は体が空いているのでお一人お一人に丁寧に対応したいのですが、
絶対に泣いてしまうので自宅でお店に思いを馳せさせていただきます。
本当に申し訳ありません。。。
さて、ここからはさらに長くなっちゃうから本当にお時間がある方だけお読みください。
黙っておりましたがこの半年間の大半が闘病生活でした。
自分自身、みんなを元気にして、幸せにするのが仕事だと思ってるので、
暗い、悲しい話題はできるだけ書かないようにしていたので黙っていました。
昨年9月25日の夜中に突然呼吸が荒くなり、救急病院に連れて行ったところ、
元々脾臓にあった腫瘍が破裂しているとのことでした。
このまま出血が止まらなければ亡くなると言われ夜通し看病していました。
奇しくもこの日は12月3日に行われたThrow Lineのコンサートの告知のポスター写真を撮りに羽田に行く日で、
延期も提案してくださったのですが、全員のスケジュールが合うのが本当にここしかなく、
おんたを病院に預けて現地へ向かいました。
皆に事情を説明し、ギリギリの到着、カメラマンの誠司くんにも
「目が真っ赤だと思うから上手いこと加工とかしてナチュラルにできないかな?」などと聞いたのを覚えています。
その後奇跡的におんたの出血は止まったのですが、先生からは
「1ヶ月以内くらいにまた破裂してしまうと思う。次にそうなった時は助からない。
それを避けるには脾臓の摘出手術しかないが、その腫瘍が悪性だったらどのみち2〜3ヶ月だと思う」と言われました。
この時おんたは15歳、「もうここまでか」と頭をよぎりましたが、
先生の「自分がこの子の飼い主だったら手術をさせると思う。」
という一言に背中を押され手術に踏み切りました。
おんたにはもう1人大変お世話になった先生が長野におり、
「この先生に手術してもらって亡くなっても納得ができる」と思い、
10月20日長野県は佐久市へ行き手術をしてもらいました。
手術は無事に終わり、切除した腫瘍も良性!!
しかし高齢犬のため体力の消耗が大きく、
半月ほどはリハビリのような生活でした。
そのリハビリの途中あたりから、謎の下痢に悩まされるようになります。
なかなかご飯を食べなくなり、1日何回も下痢が出てしまう、
のちの死因の可能性になるIBDというものでした(この時はまだ軽度なものでした。当時はそんなふうに思えなかったけど)
毎日夜中や明け方にトイレに行きたくなるおんたにオムツを履かせて外へ連れて行きうんちをさせていました。
「ご飯を食べなくなってしまうのはとにかくまずいからなんでも良いから食べさせて!」と、先生からの指示があったので
あれこれ好きそうな食べ物を顔の前に出し、食べた食べないで一喜一憂する毎日でした。
それでも少しづつ、ささみや茹でたうどん、蒸しパンなどを食べてくれるようになりました。
しかし、あちらが立てばこちらが立たずとはよく言ったもので
今度は腎臓の数値が悪くなります。
「このままでは腎不全になってしまう」とのことで
この辺りから点滴の投与が始まります。
なんとこれが物凄く功を奏し、数値は下がり、今まで全然食べなかった犬用のカリカリフードを食べてくれるようになります。
次第に下痢もおさまり、体力も戻ってきて、また長く歩けるようになってきました。
諦めていたクリスマスも一緒に過ごせたし、年も越すことができました。
年明けから1ヶ月くらいは落ち着いていたのですが、
大寒波が押し寄せていた1月27日の明け方、急に呼吸が荒くなり嘔吐、おしっこもうんちも漏らし、明らかな異変。
またまた救急病院です。
よりによってこの日はThrow Lineでストリートライブをする日。
この日も病院に預け、ライブが終わったら一目散に病院へ迎えに行きます。
この時の診断結果は急性の胃腸炎。
この頃のおんたはカリカリだけでは食いつきが悪くなっていたのでおやつや缶詰を使ってご飯を食べさせていたのですが、
初めて買い与えたおやつとの相性が悪かったのかなと、酷く自分を責めました。
数日ぐったりし、苦しそうに呼吸していました。
現場やリハーサルがあったので早起きして朝イチで病院に連れて行き診察してもらったのを覚えています。
かかりつけの先生も本当に熱心に見てくださり、
10日ほどで回復してくれました。
そこからまた穏やかに暮らしておりましたが、3月5日にまた体調を崩し、
今度はお薬を増やしたり、注射や点滴をしたりと本人にとっても辛かったかもしれない治療をたくさんしました。
次第に僕は「最善」と「延命」の違いってなんなんだろうとわからなくなりました。
それを先生に相談した時に、
「それは蓋を開けてみないとわからないことなんじゃないかなと思っています。
治療がうまくいけばそれはきっと『最善』って思えるし、
うまくいかなかったら『余計な延命だったのかな』と思うんじゃないかな?」
その一言で「後で最善だったって思えるように今はできるだけのことをしよう!」と前を向けました。
結果は残念なものになってしまったけれど、今でも「余計な延命」ではなく「最善」だったと思っています。
頑張り抜いた彼の飼い主として胸を張っていたいです。
この写真は脾臓が破裂して数日後、ちょっと呼吸が落ち着いたので試しに玄関先に出した時、妹が撮ってくれたものです。
彼の表情は希望に溢れていました。
「まだまだ生きたいよ」と言っているようでした。
この目を僕は忘れません。
そして亡くなった日のレコーディングも、その後の星影のロゼットのライブ、RABのリハーサルも
「失敗したらおんたのせいになっちゃうじゃん!」って自分を鼓舞して自分らしく演奏できたと思います。
そしてこれからも自分らしく在り続けられるよう、前を向きます。
40歳となる今年、色々なことにたくさんチャレンジしていきたいなと思っておりますので
これからも応援よろしくお願いいたします。
僕のことを応援しててよかったって思えるような人間になります。
そして、
おんたと過ごした15年と7ヶ月という日々と、その間に出会ってくださった皆様に心から感謝しています。
これからも僕の心の中で彼は生き続けます。
一緒に生きていきます。
皆様もおんたのことを心の片隅において、時々思い出してあげていただけたら嬉しいです。
(悲しい気持ちで思い出すんじゃなくて、可愛がるような感覚でね。)
皆様、本当にありがとうございました
(こんな長い文章を書いたのは久しぶりできっと駄文長文、読むのも大変だったことでしょう。。。。)
BIG LOVEです(^^)
2023年3月26日
小池隼人